暇を感じるほど余裕が出来るという喜び
死にたくてどうしようもなく苦しい渦中は暇を感じることもないくらい辛くて辛くて、一生抜け出せないトンネルを彷徨っているようなそんな絶望感が一秒一秒心に針を刺す。
心の波はずっと下に下がったままではなく、いつか上向きになる事が分かっていてもその渦中にいるとそのようにはなかなか思えないし、実際本当に続くような気持ちに陥る。
そう言った苦しい気持ちになって、少し回復してきた所で暇を感じるようになった。休んでいる時間に隙間が生まれて何をしようか考える空白ができた。心が穏やかな日常が送れている時は暇が退屈なネガティブなものとして捉えてしまうが、それは心の健康のサインでもある事が分かる。辛い事で精一杯ではなくて、何かしたい!という暇が生まれているという事だからである。
日常生活を送っていると当たり前と思われることがメンタルを崩す事で些細な事がバロメータになっていることに気づく。少しずつ自分のバロメータを見つけて、心穏やかな日常が少しでも増えるといい。
ただ生きてるだけ
ぐるぐるぐるぐる、理想の自分やこうしなきゃが脳を巡って、それと反して起き上がれない身体。
自分で何をするのがいいのかは分かってるはずなのに。
ひたすら時間だけは過ぎて、こうしてる間にも進んでいく周りと、それどころか歩くたびに何か大切なものを落としてるんじゃないかと思う自分。
ただ命があるだけ、息をしてるだけ。
不謹慎だけどもっと分かりやすい病気が良かった
こんな事言うのはどうかしてると思われるかもしれないが、目に見えて苦しいと思われるような病気だったら良かったと常に思ってしまう。
体は健康体なのに周りと同じようにできない辛さや気持ちだけ先走って体は置いてけぼりになる辛さは目に見えて分からない、理解してもらえないから孤独感が増す。
拒食から過食に移行して、体重が一気に増えたとき、鬱症状も酷くて心はいつも苦しくて、でも見た目の体型だけ見て、元気になったね、健康そうになったねとよく言われた。その言葉は私にとってはやっぱり太ったんだという事実を突きつけられるようなものだったし、自分の気持ちと裏腹の周囲の言葉は破壊力が強すぎて、押しつぶされそうになったりもした。
見た目で分からない故に、怠けて過食してるだけの甘えではないかと自分でも思う気持ちもあり、なんでできないのかと言われても自分でも理由が分からなく、余計に苦しい。外で笑顔でいる分帰ってからは、感情が消え去る。
もう頑張る気力もなくて、だれか終わりを決めてくれないかな。